第6冊 太宰治『人間失格』

6回目にして本ではないです。『人間失格』のDVDを観ました。原作が本なのでDVDでもOKとします〜

幸せな生活から少し離れてきたかなと思った時に読む一本。

原作太宰治
製作年度2009年
監督荒戸源次郎

感想

※ ネタバレを含む場合があります。

人間は何で生きているのだろう。何のために生きているのだろう。そんなことを考えさせられた。
葉蔵は周りの人の感情を読み取れてしまう(読み取れていると思っている)から、アル中、薬中になって堕ちていくのだろうか。
アル中、薬中は楽しいのだろうか。楽しくないからアル中、薬中になるのか。それで自分で自分をコントロールができなくなるなら、何で生きているのだろうという疑問がやはり生じる。
これまでの体験の、全てが虚構に思えた。電車の中の回想シーン。これまで出会った人、シーンが走馬灯のように回想される。これを各人に置き換えると、一人ひとり異なるストーリーで、登場人物も、その比重もまるで違うことになる。ただそれはその人にしかわからない情景。他者のだれしもが作れないストーリー。いつの時代も主観は変わらないと思う。と書こうとしたとき、違うのではと思った。各時代の各文化、流行、その時の思想によって主観もおそらく変わるから。ただ、他人が自分と同じ視点で物事をみていないという点においていつの時代も同じだろう。
現代においては、大衆芸能の時代から、スマホで各人がおのおのの興味に即して自分のストーリーをより強固にしてきている。されど、人とつながりたい願望はあり、snsでつながる。自分の存在。他者との関係性の中で、確立していく自己。
これまでの体験が、全て虚構に思えたのは、その為かもしれない。今日、自分はこの映画を一人で観ていた。誰ともシェアすることもなく。自分のこれまでの体験、これからの体験は、他人を通じて実体となっていくのかもしれない。本当は、自分一人でもその体験は実体なのだけれども、他人を通じて初めて、なにか輪郭がはっきりしてくるのかもしれない。そう思った。